大槌道すがら-1

 

いゃ〜 。

岩手の大槌町まで、老犬リュウと車で行って来ました〜〜。

 

3年程前にも、その時はゼロ泊3日という強行日程で、訪れた大槌。今度行く事があったら、楽な乗り物で(公共交通機関を使って)って思っていたのだけど、老犬リュウのことを考えると一緒に居た方がいいかなと。老犬リュウは、何処かに預けると、あまりご飯を食べてくれないので、するとやっぱり車での訪問になってしまうのです。

 

行きは途中で一泊の予定を入れて。

帰りは、朝7時に大槌を出発して、一日運転して夜8時半には高山に着きました。

 

(自分を)励まし、歌を歌いながら、老犬リュウとまた、長旅が出来た事は、最高の思い出です。

ずーっと大槌の人達に会いたかったので、(大槌刺し子プロジェクトから講習会の)依頼があった時、何も考えず、即答で「よろしくお願いします。」って答えました。

 

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でも、その後から、「ぎゃーどうしよう。私に何が出来るのよって不安になって。」

淳君とも話しをしながら、いろいろ考えました。人間、求めると答えは生まれるもので、悩んでいろいろ考えて「100個バックを作ったら面白いんじゃないか」というアイディアが頭に浮かんだのです。

 

大槌に行く事以外な〜〜んも考えてないのに決めてしまったので、そこからの1カ月は本当に大変でした。

実際に大槌に訪れる時にバッグの材料がないと話しにならない。時間は1カ月。

大槌の講習会の日程が終わった後に出産予定日を控えていた次男(淳君の弟)夫婦の子供が、3週間予定日より早く無事に生まれたので、「準備→娘の出産→娘と孫の退院→岩手大槌への長旅」とバタバタでした。

 

「自分で染めた糸(草木染め)で、大槌刺し子プロジェクトバックを作りたい。」

という想いが強かったので、この暑い夏に、70度のお湯で湯気がもうもうとする部屋の中でたっぷり汗かきましたわ〜〜(草木染め糸を染めるには大変な作業が必要なのです)。

ある日、日々の予定に余裕がなく、ある日あまりに慌てすぎて、物干し竿の端っこで、目の上をパンチしてしまいました。そこからは、日を追うごとに片目だけ、ボクサーに殴られたみたいな感じに目の周りが真っ黒でになって。

大槌町着いた時には、ぎりぎり、ほぼ消えていました。良かった〜〜。乙女心もあるのです。

大槌町のおばちゃん達やお姉さん達(刺し子さん達)は、とても優しい方々ばかりでした。私はずーっとこの一年、ひとりで、黙々と仕事してきたので、こうして大勢の人と関わり、私の作品も褒めてもらい(認めてもらい)、楽しかったな〜〜。

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一番感激したのは、86歳のおばちゃんが久しぶりだと言って、「私にも出来ますかね〜?」って話しになって。

私が、「全然大丈夫よ〜〜できますよ〜〜。」って話すと、「あ〜生きていて良かった」って。

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「えっ。」

って体に電気が走ったのよ。私がしている事は、そんな大それた事じゃ無いのに。

その方は「また、新しい事が学べる、自分作品が作れる」って、喜んでみえました。

大槌刺し子に納品する用に一個作ったら、もう一個は、自分為にバック作りたいんやと。お世話になった方に、自分の一生懸命に作ったバックをプレゼントしたいのだと。

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もう一人の方の言葉も覚えています。

「大槌刺し子は、大家族なのよ。皆で助けあって生きてきたのよ。物作りの楽しさ、出来上がった時の達成感、そして、それを、お客様が使ってくださっている時の幸福感を味わっていきたい」って。

純粋なその言葉に、これまた身が引き締まる思いでした。

 

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(淳編集後記)

 

僕は子育て専業主夫という、それなりに忙しく大変な日々を過ごしながらも、できる範囲で母親の起業を応援しています。様々な課題もあります。まだSashi.Coは、母親の生活費すら稼げていない事業です。

そんなまだまだ未熟なSashi.Coという母親の刺し子業を支える上で、僕には一番大切にしている”核”の様な判断基準があります。

 

それは

「母親は楽しめているか。そして母親が目指す未来に向けて一歩でも前進できているか。」

 

この二つが揃えば、どれだけビジネスの常識から外れようとも全力で応援しようと思っています。たとえそれが短期的に苦しい判断になったとしても。

 

当たり前だった刺し子家業がなくなった時、僕と母親が最も苦しんだのは「人との関わり」が無くなる事でした。もちろん金銭的な苦しみもありましたが、それ以上に苦しかったのは、今まで当たり前のように接してきた「刺し子を愛し、刺し子を応援してくれる」人たちとの接点がなくなってしまったことでした。

その後、僕はアメリカに移住し新しい環境で生活を始める事ができたため、この苦しみは紛らわす事ができました。対照的に、同じ高山市に残り、同じ空気を吸い続けた恵子さんにとって、その「人との関わり」がなくなってしまった苦しみは、想像を絶するものだったと思います。

 

約1年前、母親は、覚悟を決めて「私一人でも好きな刺し子を続けたい。」と動き出しました。

その覚悟を見て、手伝ってくれる方々もできてきました。1年間作品を作り続け、そしてこの大槌町でのコラボ。

 

母親の笑顔をこうしてみられることが、僕にとって何よりもの成功なのです。本当に嬉しい。

 

大槌までの直線距離800km(運転距離にするともっとあると思う)を車で一人で運転してしまうエネルギーも、思った事をそのまま形にしてしまうバイタリティも、そして出来上がる作品に宿るセンスも。

 

全てに尊敬を抱きながら、この母親が始めた「Sashi.Co」と、そして母親が関わる事になった大槌刺し子を、今後もしっかりと応援&支えていけたらと思うのです。

 

母親が主の「Sashi.Co」。

そして母親がコーディネートしていく大槌刺し子とのコラボ作品。

ステージに立って踊っているのは母親なので、今後もこのブログには母親本人の気持ちを書いてもらおうと思っています。もちろんバッグの制作を優先しつつ。

 

今後も暖かい応援を頂けましたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

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